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人権侵害と声高に言うがどうなんだろうか

沖縄県に派遣された機動隊の職員が市民に暴言を働いたと、ニュースでは声高に主張している。 なるほど、確かに公職にある人間の差別的発言は問題だろう。 だけど、ほんとうにそれだけで済ませていいものだろうか。 先立って、大阪市長が意見を述べた。市民に対する謝罪と、警察官の弁護である。

これにマスメディアはこぞって批判したが、私はそうは思わなかった。 今日も、自民党沖縄県議が一つの意見を述べた。 「市民にも非がある」という内容である。 私は、こちらの意見を支持したい。 確かに、公職にある人間の暴言は許されることではない。だけども、市民だって勿論、何を言ってもいいというわけではない。 デモや反対運動を否定しているわけではない。

だけども、県議の方の言うように、市民には一個の非もないというのだろうか?  反対運動として、座り込み、声を上げ、邪魔をすること。確かにそれは一つの運動だろう。しかし同時に、それは業務妨害とも取れるのだ。 業務妨害として退去を促せば罵声を浴びせられ、ひとでなしと言われる。これでは、幾ら市民への配慮を説かれる側としてもたまったものではない。

最近、事あるごとに「ブラック企業」が取りざたされる昨今ではあるが、このままだと公職そのものが「ブラック企業」とは化していないだろうか。 給料の有無や高低、休暇の有無のみがブラックといわれるのではない。 己の行動の対価、伴うモチベーションでもブラックと判断出来るのではないだろうか。 昔はこうだった、と高齢者の方は声高に言う。昨今は嘆かわしい、という。 しかしそれは、目には見えなかっただけなのだと言いたい。 人の心は、そうやすやすと変わらない。

嬉しければ応えるし、悲しければやる気をなくす。 「よいひと」をつくるのは、己の態度次第ではないのだろうか。 そう罵られるほど、自分たちは彼らに対してなにをしたのか。 声を上げる自分こそ、相手の人権を蔑にしていないだろうか。 そう思わずにはいられないのである。